商社時代

で、関西に帰りたかったので大阪本社の(株)山善という機械がメインの専門商社に入り何故か住設建材部に配属され、何故か新入社員からいきなり仙台に飛ばされ・・・いや、配属され入社2年目には新営業所を出すのにあたりその初代セールスとして福島県郡山に行きました。ここでの7年間が今の私の財産のような時期で、とにかく何もかも自分でやる・決めるので商売のことはもちろん、住宅のこと、人間機微のこと様々勉強しました。

 商社と言うのはここだけのハナシ、“売ったモン勝ち”的な要素が非常に強く、売れるものは何でも売るのです。私も入社2年目で全てが新規開拓と言うやりがいのある仕事を任せてもらいとにかく売って売って売りまくろう!の毎日でしたが、そこはそんなに社会も甘くはなく、入社2年目の若造がいきなり福島県での歴史も無い地でそうそう買ってくれはしませんでした。

 ま、そんなことは百も承知で乗り込んだのでそこはとにかく朝から晩まで“若さ”に任せてがむしゃらに営業をしました。

 しかし、若さに任せたパワー営業がたたり、病気で倒れたのが25歳の春です。丁度郡山に来て3年目でした。ようやく、お客さんにも受け入れられてきた矢先でしたのでとても残念でなりませんでしたが、病院に行って即入院通告されたのですから仕方ありません。

  でも、その入院がまさに私の人生最大の岐路でした。悔しかったですが後悔してもしょうがないので、このビハインドをうめるべく、宅建の試験が退院するころにあるのでそれでも受かって自分なりにオフセット?しようと毎日勉強しました。

 そしてベッドの上では「パワー営業には限界があるし、こうやって倒れるのでは元も子もない・・・」と今までのやり方を根本的に変える決意をしました。それはただ足しげく回数を通うのではなく、一回一回の訪問に目的を持ち、手ぶらで行かず必ず何か情報を持って行くよう心がけたのです。そうなると、もっともっと住宅や商品や法律や業界動向の事を勉強しなくてはならなくなり、色んなセミナーや展示会や本も読むようになり、それらを統合させた情報をお客さんに発信するようになりました。

 

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